「孤独のグルメ」のカウンセラー的感想
孤独のグルメとは
「孤独のグルメ」とは、原作・久住昌之、作画・谷口ゴローによる漫画で、2012年から1月期からテレビ東京系でテレビドラマ化もされています。
テレビドラマはseason9まで放送されていて、スペシャルや映画化もされている人気作品です。
ストーリーとしては、個人で輸入雑貨商を営んでいる井之頭五郎(松重豊さんが演じています)がお客さんのところに行った、帰りに空腹になり、飲食店に入って空腹を満たすというお決まりのパターンです。
基本的にはこのパターンで、とにかくご飯を食べるシーンがメインのドラマです。
好きでよく見るのですが、年末に一気見再放送をしていました。
今までは単においしそうに食べているのが好きで見ていたのですが、よくよく考えると五郎さんのすごさを感じました。
ストレスコーピングで見る五郎さんのすごさ!
切り替えの速さ
Season9第4話では、書斎の机を欲しいという要望のお客さんがいて、いくつか提案したんですけど、違うテイストの物も見てみたいと言われ、新たに別にテイストの机のカタログを持って行ったことがありました。一度はすぐに決まりそうだったんですけど、お客さんの気が変わり、結局コーヒー3杯飲んでも決まらないという何とも残念な結果に・・・。
お客さんのところからの帰り道で、この時の五郎さんは珍しく怒っていましたね。そこで「腹が減った」と、飲食店を探すことに。お腹がすごく減っていたことと、場所が住宅街であまり飲食店がないことから、最初に見つけたお店に入ることを即決!この時にはすでに、さっきのお客さんへの怒りは忘れていて、とにかく食べることに集中していましたね。そして、最初に見つけた町中華屋に入ることを即決!さっきの怒りはもう全くなく、中華で何を食べるのかをすぐに考え始めていました。
すごい切り替えの速さですね。アンガーマネジメントで、怒りのピークは6秒と言われます。これは、怒りのピークは6秒で達し、その後は徐々に落ち着いていくといった話なのですが、実際にはくり返し思い出してずっと怒ることもありますよね。たぶん思い出したりとかしなければ、6秒以降は落ち着いていくということなんだろうと思うんですけど、でも、思い出しちゃいますよね。
でも、五郎さんは飲食店を探し始めてから、一切さっきのお客さんの事を思い出さないんです。それがすごいですね。
こんな超効果的なストレスコーピングがあるといいですね。コーピングとは対処行動の事です。
コーピングについて、詳しく知りたい方はこちらもご覧ください。
sinri-psychology.hatenablog.com
自分との対話
注文時を除けば、食事中は基本的に五郎さんの独白シーンが続きます。
何を注文するか考えている時から自分との対話が始まります。
「俺の腹は何を欲しているのか」と、自分のお腹に聞きます。自分との対話に集中しているんですね。そして、食べ始めると食事との対話が始まります。この会話に集中しているんですから、お客さんへの怒りなんて思い返す隙間なんてあるはずもありません。
この時、五郎さんは孤独な状態になっているのです。
孤独力
皆さんは「孤独」という言葉に対して、どのようなイメージを持っていますか?
goo辞書で調べると、以下のような意味のようです。
1 仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま。「―な生活」「天涯―」
2 みなしごと、年老いて子のない独り者。
確かに、一般的には寂しいとか独りぼっちというイメージがありますね。
しかし、哲学者のハンナ・アレント(Hannah Arendt)は、孤独、孤立、孤絶という3つの言葉の意味を以下のように言っています。
孤独(solitude)
自分自身と話す、1人になって対話していること。
私がみずからとともにあり、自己によって判断することは、思考のプロセスにおいて了解され、実現されるものです。そしてすべての思考プロセスは、私が自分に起こすすべてのことについて、みずからとともに対話する営みなのです。この沈黙のうちでみずからとともにあるという存在のありかたを私は孤独と呼びたいと思います。
責任と判断(ハンナ・アレント)より引用
孤立(isolation)
人と人とのあいだの政治的接触が断ち切られた状態のこと。政治的接触とは、人々が共同し、活動する関係や機会のこと。
人々が共同の利益を追って相共に行動する彼らの生活の政治的領域が破壊された時にこの人々が追い込まれるあの袋小路の事である。
孤絶(loneliness)
すべての物、すべての人からも見捨てられている状態のこと。
「孤独」は「一者のうちにある二者」であり、自己の中で自分自身との対話ができる状態ですが、孤絶は自分自身との対話もできない状態。
見捨てられている状態においては、人間は自分の思考の相手である自分自身への信頼と、世界へのあの根本的な信頼というものを失う。人間が経験するために必要なのはこの信頼なのだ。自己と世界が、経験をおこなう能力が、ここでは一挙に失われてしまうのである。
このハンナ・アレントの言葉を借りれば、五郎さんは食事をしている時、自分自身と対話しており、食事という他者との接触も持っているわけです。そういう意味での、孤独に食べているとも考えられます。
こういう「孤独力」も時には必要かもしれませんね。
実は深いドラマなのかも
こんなふうに考えていくと、実は深いドラマなのかもしれませんが、こんなことを考えずに、単純に「おいしそうだなぁ」と思いながら見ても面白いですよ。
もしよかったら皆さんも「孤独のグルメ」と見て、自分との対話をしてみてはいかがでしょうか?
ちなみに、五郎さんは、「これを一人で食べるの!?」というくらい食べます。たまに、注文の時に店員さんから「たくさん食べますね」と言われることがあります。
でも、五郎さん役の松重豊さんはそれほどたくさん食べられるわけではないので、収録の前には何も食べないでお腹を空かせてから撮影に臨むらしいです。その日初めての食事にすることで美味しい表情をするためという意味もあるらしいですが。